連絡、取ってみようかな…


ソフトがあればできるとかいって、買って満足する奴は大っきらいだ。


もっと嫌いなのは結局買ってもやらない馬鹿だ。




恩師が言っていた言葉だけれど。
「自分の手で生み出すことに慣れる前に、機械に頼ってはいけない」と。
たとえそれで一時表現できるようになったとしても、
所詮はその方法でしかできなくなってしまう。


たとえば、それで。
仕事として成り立つのであれば。
俺は悪くないと別に思っている。
だが、俺は絶対に、
そいつを、本当に「その仕事を愛している」とは見ないだろう。


愛って、そんなちゃちなもんじゃないと思うんだ。
好き、って、そんなもんじゃないと思うんだ。


絵で生きたいといって、今の俺が現実から逃げているのは知っている。
だが、俺ともしまったく同じ境遇の奴がいるとして。
もしそいつが、「絵描きになりたいけど、描く気になれない・描く気が起きない」とか言っていたら、
はっきりと「お前、それ向いてないよ」って言いたい。
っていうか、一発殴り飛ばしたい。
好きなもんはしょうがない。
他にできないからっていうのが理由なのかもしれない。
だが、もしそれで生きたいっていうんなら、
毎日最低一時間は絵を描くべきだ。
そんな根性もない奴に
絵が好きだから職にしたいなんて、言わせたくない。
思って欲しくもない。
選択肢に入れてほしくもない。




どうせ俺は。
言っていた自分が。
今はとても懐かしく思う。


俺は、やっぱり何もできなくて。
絵と、音楽だけが、人並みにできて。
ぼんやりと就職が迫って。
やばいと思って、就職した。
結局、自責の癖は直らないまま。
中途半端に放り出されて。
自分を見つめなおして。
手探りで進みはじめて。
気がついた。


ああ、なんて。


俺は、馬鹿だったんだろうと。


なぜ、あの時。
自分の限界を決めて、
それ以上やろうとしなかったのか。
方法がわからなかったのかもしれない。
俺は努力を不毛な頑張りと履き違えていた。
結果がすべて。
結果が出ない方法は間違っている。


なにより、
やらされている、という姿勢が。
そもそもの間違いで。
結局自信がないことが。
全ての元凶だったと、
今なら、わかる。


悔しくて、悔しくて。
心の中でいくら叫んでも、
大事な人には何も届かない。
わかっているのに、
うごけない俺は。
…きっと、まだ。
努力の本質を何もわかっていない。


…気がついた事がある。
何かを習得するには。
自分に自信をもって何度もチャレンジして新しい活路を見出していくか。
その先駆者に、半ば強制的にやらされて、自我を完全になくした操り人形になるか。
結局、その二つしかないのだと。


やるか、やらされるか。
どちらでもいいが、「やる」場合に最も足枷になるのは、
自分を、心の底から納得させられない事だ。


心の底から納得するのに大事なのは。
強迫観念でもない。
それがいかに有用か、という説明でも論理でもない。
それとジッと向き合い。


「やってみよう。」
と。
心の底から思うこと。
たった、それだけなのだ。


結局人は。
擬似体験から、擬似しか学べないのだ。